読書感想文をずっと親に書いてもらっていた

最近、Netflixに加入してヴァイオレットエヴァーガーデンというアニメを見ています。どうも、タカイチビイチです。

このアニメはすごく簡単に言うと代筆屋の話です。無感情な主人公が代筆屋という仕事を通して感情を獲得していくという感動的なストーリー。

ただ、僕はアニメの内容とは別に、標記の件を思い出してしまいました。代筆屋は言わばゴーストライター。悪い方向に作用することもあります。

目次

経緯

読書感想文という苦行

僕は小学生のころ、本を読むことが苦手でした。文字を見ているとイライラしてくるのです。そんな僕が一番恐れていたのが読書感想文です。本も読みたくないのに、その上、感想文も書けという二重の苦痛。毎年夏休みになると出されるこの課題に頭を悩ませていました。

優しさ故の過ち

そんな苦悩を母に相談したら、なんとゴーストライターになることを快諾。母は普段から僕に厳しかったのですが、読書感想文だけは甘々でした。

今から考えれば、母の本棚にはシドニィ・シェルダンという小難しそうな作家の本が大量にありました。そんな読書好きの母からすれば小学生の読書感想文など造作もなかったのでしょう。

この件は母の優しさ故の行動だと思っていますが、もしかしたら自分を表現する場として、息子の読書感想文を利用していたのかもしれません。

それによる問題

読書アレルギーが加速

母がゴーストライターに就任して以降、僕は一切本を読まなくなりました。読書感想文の題材となる本も全く読みませんでした。

教科書などで文章は目にしていたのですが、いわゆる読書の類はゼロ。僕はこれが原因で読書アレルギーになったのではないかと考えております。

読書って体系立てて知識や情報を得ることができると思うので、その点で僕は損をしてるのかもしれません。

問題が露呈するとき

感想を書くという点で、実際に問題が露呈したのは会社で新人のとき。

そのころ、日報を書くことになっていたのですが、その内容について指導者に「子供の絵日記じゃないんだから…」とダメ出しされたことがあります。

確かに「今日は○○を勉強しました。難しかったです。」とか「今日は○○を見学しました。すごかったです。」とか。

何がどう難しかったのか、何がどうすごかったのか、僕は感想を持つという能力が欠如していたのです。

しかしそれ以降…

しかし不思議なことにそれ以降、感想を求められることってあんまりないような気がします。仕事はもっと具体的な作業になって、決められた筋道をなぞるだけ。

例えば、教育セミナーに参加してその内容をまとめることはありますが、感想っていうか求められているのは要約のような気がします。

ヒラ社員の個人的な主観など誰も興味がない。そういえば以前に「おまえの余計な感想など聞いていない!」と叱責されたことさえあります。

終わりに

なぜか最後は悲しい結論になってしまいました。

何が言いたかったというと「僕は小学生のころ母親に読書感想文を書いてもらっていた。本来はダメなことだと思うけど、実はたいした悪影響はないんじゃないか。とにかく母に感謝しておこう。」です。

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